古文書『細板記』 延享4年(1747年)8月15日 江戸城殿中で起きた肥後熊本藩主・細川宗孝刺殺事件の顛末 釈文・注記付 貴重!

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江戸時代中期、延享4年(1747年)8月15日、江戸城殿中の大広間脇の厠(雪隠)で刃傷事件が起きました。

被害者は肥後熊本藩主・細川宗孝、 加害者は旗本寄合席の板倉勝該(かつかね)でした。

厠に入った細川を板倉が背後から襲いました。板倉勝該は、本家筋にあたる遠江・相良藩主の板倉勝静(かつきよ)に対し、強い

遺恨を持っており、これを亡き者にしようと凶行に及んだのですが、間違えて細川を襲ってしまったというのです。その原因は式服の

紋所にありました。細川家の定紋は「九曜星」、これに対し板倉家は「九曜巴」。形状的には似ています。遠目、しかも殿中厠の薄暗い

ところでは識別が難しかったというのが定説となっています・・・

細川宗孝は実際は心肺停止の状態にあったようですが、その場に居合わせた同じ国持大名で大広間詰の陸奥仙台藩主・伊達宗村の

「越中守殿にはまだ息がある。疾く屋敷に運び手当せよ」との言を得て、上屋敷に運び込まれ、翌日、「介抱の甲斐なく死去仕り候」と

幕府には届け出されました。 宗孝は享年32歳、この時、子もおらず、この一日の猶予を得て、末期養子として細川重賢を届け出る

ことを得、世嗣不在による改易を免れることが出来たのでした。伊達宗村の機転の一言が無ければ大変なことになっていたでしょう。

この文書には事件の顛末が事細かに綴られています。 『細板記』と表題がありますが、当該事件の被害者・細川の「細」と、加害者・

板倉の「板」を、付け合わせて名付けたものと思料されます。

紙縒りで3箇所(6穴)綴じされ、本紙は32丁、紙は楮紙です。   大きさは 縦27.2cm×横19.5cm  厚みは約8mm

虫損、シミ、ヤケは時代相応にありますが、目立つものではなく、判読に支障は殆どありません。

墨書で基本、一頁八行書き、なかなか端正な筆跡で、変なクセはありません。 

全文解読済みです。その釈文と注釈をお付けします。(読み間違いの節は、ご容赦下さい)  A4紙で27枚あります。

近世史、熊本藩史、細川家史を調べておられる方、古文書解読に取り組んでおられる方、ご理解のある方にお譲りしたいと

思います。大変貴重な史料です。







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