寺社建築図面青写真●昭和30年 慶雲寺本堂新築工事基礎伏せ図・詳細図 3枚 横浜市神奈川区 設計士野本琢 240324 古文書

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写真には2枚分しかありませんが3枚あります。

当慶運寺は、室町時代。文安四(一四四七)年に定蓮社音誉聖観(芝増上寺三世)によって開創されました。本尊は、「阿弥陀如来」で、寺宝としては音誉聖観上人像一体と広誉是感上人像一体を安置しています。

昭和二十年五月二十九日の横浜大空襲で被災全焼の本堂は、三十九世法誉心華代の昭和三十三年に再興され、庫裡の方は遅れて昭和四十七年の再興です。平成十四年には、本堂屋根の瓦葺が鋼板葺きへと改築されました。境内地の広さは一七一〇平方メートル(五一八坪)です。

さて、慶応三年(推定)春の神奈川宿大火で観福寿寺が類焼しました。観福寿寺は現在の神奈川区浦島が丘にあって浦島寺と呼ばれていましたが、このとき慶運寺に合併されました。焼失を免れた龍宮伝来の浦島観世音像と浦島寺の碑四基は、明治六年に観福寿寺から慶運寺に移されました。観音像安置のため明治七年建立の観音堂は大正十二年の大震災で倒壊しました。三十五世信響戒浄代の昭和十年に再建、同年、太郎像と乙姫像も新調しました。昭和四十七年の庫裡改築に伴い、本堂東側にあった観音堂は現在の本堂正面に移転となりました。

この観音堂は、旧小机領三十三カ所子歳観音霊場の第九番札所とされており、その御詠歌は「ただたのめ願いもついに神奈川の 浦島かけて深きめぐみを」です。浦島伝説関係資料のうち、前記の「観世音像」、観音堂脇の「淳和天皇勅願所古跡」碑、門前の「浦島寺」碑は、平成七年、横浜市の重要文化財に指定されました。この観世音像いわゆる観音様は、太郎が龍宮より帰る際に乙姫様から玉手箱と一緒に守り本尊として授かったものと伝えられます。柔和な面立ちの観音様です。亀の背上に立っているお姿を間近に見ることができるのは、十二年ごとの子歳開帳の期間だけです。

横浜開港当時、慶運寺はフランス領事館として使われ、初代領事のベルクールが滞在しました。慶運寺は通称「浦島寺」として一般に知られます。
出典:慶雲寺ホームページ

野本氏は昭和56年に川崎市文化賞を受賞されています。
その2年後に97歳で亡くなられました。
地元の川崎市や横浜市そして東京都大田区にある寺社の設計を数多くされています。

多くの方にご覧になって戴き貴重な資料がご研究のお役に立てればそして、故郷に帰る事ができれば大変嬉しいです。
基礎図のサイズは51.4×42㎝です。
写真にあるスケールは全長17㎝です。
状態は経年によるシミヤケがあります。
発送は折り畳んで追跡可能なクリックポストを予定しています。

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